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  • 執筆者の写真大和田あずさ

パワーハラスメントについて私が考えること

最近、演劇の世界で変化が起きてる。演劇の現場におけるパワーハラスメントが問題になるようになった。

問題になるようになったという書き方をしたのは、この演劇界におけるパワハラというものが、ずっと存在し続けていたにも関わらず、ほぼ黙殺されてきたからだ。

演劇界のすみっこで何年か過ごしてきた私だけれど、なんとなく皆こういうことについては積極的に話したがらないような印象がある。(現場によってはもちろん積極的に議論されているところもあるんだと思う。)

ここ数カ月演劇界で起きた様々なニュースを見ていて、私も何か伝えたいと思った。でも、私がパワハラについてまだ知らなさ過ぎたこともあって、いや…本当は、なんとなくそういうことに触れてしまったらめんどくさい奴だと思われたりするんじゃないかとか、毛嫌いされて今後仕事ができる団体が制限されるんじゃないかとか、そういうずるい怖さがあって何も言えないでいた。

でも、よくよく考えてみてある問いに行き着いたんだけれど、私はパワハラをする人やパワハラを肯定している人とかと、果たして一緒に仕事がしたいんだろうか…?というかできるんだろうか?そういう、年齢や出自や能力差などの色んなことで人を差別する人間たちと、私は一緒に作品を作りたいって本当に思えるんだろうか…?

時間をかけて考えたけど、答えはノーだ。

私は演者を大切にできない偉い先生と作品を作るよりも、最後まで演者を大切にしてくれる人と一緒に作品を作りたい。これはたとえば、誰それの意見が正しいとか、また特定の誰かを糾弾するつもりでは全くない。今現在の私個人の意見として書いておきたいことだ。


私の学生時代にもパワハラは存在した。私は直接師事していないけれど、とある教授は演者がとちった(間違えたり良くなかったりした)時に、わざわざお尻をたたく用の扇子を取り出してきて、「尻を出せ!」と言ってスパーンとお尻を叩くんだとかいう話があった。(しかもご丁寧に女性用と男性用で二本持っていたらしい。)今考えたらありえないパワハラだし、セクハラだし、体罰だ。現在もその教授の悪い習慣が続いているのかは分からないが、少なくとも平成の時代に、そういう世間の一般常識からはかけ離れた状況が存在した。

ただ(これは完全に私の体感なんだけれど)、そういうことが笑い話で消費されてしまうような空気が漂っていたというか、芸事の世界ではまあそういうこともあるだろうみたいなセーフな空気があったように思う。セーフというかむしろ、いい作品のためにはそういう厳しさが必須であり、「あの人は演劇に熱いからね」という言葉ですべてが美化されちゃう、美化しなければならない空気があった気がする。


でも今はもう違う。今の時代パワハラは社会問題になっているし、とても悲しいことだけどそれが原因で自殺してしまう人たちもいる。確実に、笑って許していいことではなくなってきている。もう「演劇にあついから」という言葉が免罪符になる時代は終わったのだ。


また、パワハラが問題であることと同時に、パワハラを肯定する人も同じくらい問題だと思う。これは大分闇が深いと思っていて、たとえばパワハラする人の周りをパワハラ肯定派の人が全方面取り囲んでたら、パワハラする人は一生自分の罪に気づくことができないじゃんか。

これはもう本当に危険なことで、第三者に指摘されたときに「自分たちに非はない」と言いきれてしまう土壌が出来上がってしまう。そういう意味ではいじめとおなじで、パワハラを直接行わないがそれを肯定している人というのは、同じくらいの罪を犯していると思う。その土壌を作った共犯者だから。

彼らがパワハラを肯定する理由を少しだけ考えてみたけれど、それが芸術の完成につながると疑いなく信じ切っているパターンや、自分の体験を否定したくないパターンなど、色々あるとは思う。それまでの経験の中で、威圧や暴力が演劇において一定の効果を表すのを彼ら自身の目で見てきたのかも知れない。自分が若手だった時に先輩にされたパワハラは、きつかったからこそ「あれは正しかったんだ」とか「必要なことだったんだ」と思いこみたいようにも見える。(誰だって自身がされた辛いことがただのパワハラで、本当はあまり意味がなかっただなんて思いたくない。)だから、そういう過去の体験や時代を否定しないためにも、パワハラも肯定してしまうのかなと…。

いや、ちょっと一瞬寄り添ってみたけどやっぱりパワハラを肯定するのは絶対的にだめだわ、普通になしだわ。

ちょっと一回ずれてしまったけど、とにかくそういうわけで今、私たちはこういう世代間によってパワハラの捉え方が何層にも分かれてる複雑な時代に生きていて、そしてこの問題を解決するためにはそのぶ厚い層をびりびり破っていかなくてはならなくて、それが途方もなく大変で速攻で解決できる方法もない、というところにいる。


ただここで途方に暮れて声を上げずに立ち止まっていたら、結局何年も何十年先も状況は変わらず、権力のある演劇人のパワハラは黙殺され続けて、こういう問題がまるでなかったみたいに扱われるそういうディストピアがやってきちゃう気がする。

なので、この長い戦いを終わらせるために、まずは今思いつく自分がやっていけそうなことを何点か下に書いていきます。


一つは、「自分はこういうことをゆるさない」と公言すること。

私はパワハラを(セクハラとかそういうのも)許さないし、そういう行為に加担している人を許さない態度だぞということをみんなに知ってもらうことだと思います。正確に言うと、そういうことを許す団体や人物の発展のためには力を貸すつもりはありません、むしろそういったものとは徹底的に戦う所存です、と伝えていくことだと思います。言わなければそれは世間ではないこととみなされてしまいます。(悲しいことです…)言葉を表に出すことで、それが初めて世の中の意見の一つになるからです。


また一つは、パワハラにあった時、また目撃した時にスルーしない。

ちゃんと第三者に言うことです。人に言うとなるとなんだかチクってるみたいでドキドキしてしまうけど、これは厚生労働省のwebサイトにもしっかり書かれています。

厚生労働省のあかるい職場応援団というサイト

『大切なのは決して一人で悩まないこと。信頼できる同僚や上司にまずは相談しましょう。』とか『パワーハラスメントについて対策を行わないことが経営上のリスクになるということを理解してもらうことが何よりも重要』とか、めちゃめちゃ良いことがたくさん書いてあるからハラスメントについて興味のある人は良かったら見てみて下さい。

他人に相談することで冷静になれる場合は大いにあるし、周囲の人から異常だよと指摘されて初めて気付けることもあると思うから。


最後に一つ、自分もそうならないように生きることだと思います。

これが多分、一番難易度が高いと思います。パワハラしてる人のうちの多くは、自分が加害者になっていることに気付いていない気がする。本当に教育として良いことだと思っていたり、知らず知らずのうちにマウントを取りに行く癖がついてしまっていたり、まさか自分がそんなことになっているなんて思ってないと思う。こんなこと書いてる私自身も、いつか時間を経て盲目になってしまい、充分そうなる可能性があると思います。だからこそ自分自身のこともしっかり監視しなければならない。あと、そういうことをきっちり指摘してくれる厳しい友人を超大切にすることです。



長々と書いてしまったけど…私は演劇作品やカンパニーが存在するってものすごいことだと思うんですね。

この不景気な世の中で、ものすごい労力と時間とお金と精神力がいるにも関わらず、それを乗り越えて一緒に演劇を作りたいって言ってくれる人がいるなんて本当に奇跡でしかないと思うの。だからそういう人たちは大切にされてほしい。無下にされててほしくない。

がっかりな演劇界であってほしくないです。

だから、すごく地味なこの場所にですが、パワハラとか反対だからね!ということを一つ、ここに書いておきます。

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